「あの人が、玄海さん・・・」
マイクを持って説明する戸愚呂から、リングの上にいる女を見た。
『共に闘った女がいた』
時折昔話をするように戸愚呂がしていた話によく出てきた人物だ。
『俺がまだ人間だったころの話だ』
絵本を読むようなトーンで話し始める戸愚呂が、幼いころからは好きだった。
*** *** ***
「玄海が頭の上で跳んで気を逸らしたところを、俺が殺った」
「頭の上で跳んだの?ぴょんぴょん?」
「ああ」
それはどんなに面白い光景だろうか、とはくすくす笑った。いつも掛けられたサングラスをかけていない目は優しい色をしていた。
「最強のペアだったんだね」
の言葉に、一瞬間を置いてから答えた。
「ああ、そうだな」
ふふっと嬉しそうには笑った。戸愚呂の視線は空を見上げた。もう真っ暗になった空には、ぽつぽつと星が輝いていた。蒼音もそれにならって、空を見上げた。満月より少し欠けた月を指差した。
「月にはカニがいるらしい」
「カニ?ウサギじゃなくて?」
不思議そうに一瞬戸愚呂を見た後、は月を見た。僅かに灰色がかった部分はウサギに見えた。
「月ではウサギがお餅ついてるんじゃないの?」
そんなこと信じているわけではない。だが、影がそんな形に見えるのはわかっていた。
「角度を変えると、カニに見えるらしい」
彼女にでも教えてもらったのだろう。は何度か聞いた話から、玄海という人物がそんなロマンチストにも思えなかったが、そう思うことにした。ふーん、と言いながら頭の角度を変えてみた。
「ウサギの耳が、カニのはさみかな?」
唸りながら呟く少女に、戸愚呂は笑みをこぼした。普段どこか大人びている考え方をするが珍しく年相応、もしくはそれよりも僅かに下に見えた。
「女もいるそうだ」
「女の人?」
逆へ頭を向けながら、は月の中にそれを探した。
「女の顔だそうだ」
ヒントを与えるように戸愚呂が補足した。それでも、見つからない。一度見えたものをリセットするというのは、なかなか難しい。
「強い女だった」
突然戻った話題に、は月の中の形を探すのをやめた。ぐにっと曲げていた首が痛く感じた。
きっとには見えないその女の影が、戸愚呂には見えているのだ。そして、その影を戸愚呂は昔の恋人に重ねているのだろう。
「玄海さんは人間なの?」
今まで聞かれなかった問いに戸愚呂は、ああ、と頷いた。
「奴は強さを求めなかった」
少し低くなった声に、どこか切なさを感じた。
強さを求めて妖怪になった戸愚呂と違い、その人はきっと人間のままなのだろう。
「老いは醜い」
「そんなに綺麗だった?」
の言葉に戸愚呂はふっと笑った。
「ああ。美しい女だった」
ああ、戸愚呂は本当にその人が好きだったんだ。戸愚呂の周りの空気が柔らかくなったことから、はそう改めて感じた。
「年月は残酷だな」
戸愚呂は遠くを見ていた。遠くにある星たちや月よりも、はるかに遠くにあるものを。
「あの時に殺しておくべきだった」
その言葉には、戸愚呂の腕に手を添えた。
「じゃあ、私が衰える前に、私は殺してね」
妖怪の戸愚呂の方が長生きだし、と微笑んで言うに、戸愚呂はのまだ幼い小さな手を見た。
「さあねえ」
ま
だ
え
が
か
れ
屋根の上でおしえてくれた
い
な
い
絵本のお話
UP 10/27/13