突然足元に開いた穴に落ちた。
は浮遊感に眉を寄せた。周りにはあちらこちらに瓦礫が浮いている。数歩離れた位置に、横向きの飛影がいた。その向こうには、飛影とは逆方向を向いた、桑原と蔵馬と御手洗がいた。

「ここは、一体」
「ここは、亜空間」
「どうやら俺たちは裏男に食われたらしい」

飛影が体勢を変えた。桑原たちと同じようになったのを見て、は自分の向きを変えた。桑原の縄を蔵馬が解いた。
誰かに飼いならされている、と蔵馬が言うと、樹が姿を現した。

「その通り」
「樹」

御手洗が呟くように呼んだ。すると、樹は自己紹介した。

「俺は闇撫での樹」

六本の白い腕が樹の後ろに現れた。桑原は自分が戦うと大声で言うが、樹は戦う気はないと告げた。それぞれが首を傾げた。

「仙水と浦飯の戦いを見守ってほしい」
「あ?」
「立場は違えど、一人の男に惹かれて行動を共にした。違うかね」

桑原とは反対に冷静な声で告げられる言葉を黙って聞いていた。

「彼等の戦いを見守ることは我々の義務だ」

仙水の気にいった所を問う桑原に、は聞いて何の意味があるのかとわずかに首を傾げた。

「すべてさ」

は樹を見た。

「彼の強さ、弱さ、純粋さ、悲しさ、あいつの人間臭さ、すべてに惹かれていった」

穏やかな笑みを浮かべ、樹は仙水との出会いを語った。
敵同士だったこと。人間臭さを見せたら殺さなかったこと。
は、暗殺者などという単語が入っている内容とはちぐはぐな表情を見つめた。とても穏やかだ。そのギャップをどこか左京と似ていると思い、目を細めた。

「時限爆弾と恋人をいっぺんに手を入れた気分だった」

樹の言葉に、桑原は頬を引きつらせた。

「おいおい、だんだん話が怪しくなってきやがったぜ」
「お前なら止めることができたはずだ。仙水がこうなってしまう前に」

蔵馬が言うと、樹は笑った。

「わかっていないな。俺は彼が傷つき、汚れ落ちていく様をただ見ていたかったのさ」
「なにぃ?」

桑原は片眉を上げた。

「キャベツ畑やコウノトリを信じている可愛い女の子に、無修正のポルノをつきつける時を想像するような、下卑た快感さ」

樹は、うっとりとした表情を浮かべた。

「人間の醜い部分を見続けた仙水の反応は実に理想的だったな」

樹と目があった。は、目を逸らさなかった。

「その純粋さ故、割り切ることも、見て見ぬふりをすることもできずに、ただ傷つき絶望していった。そして、そのたびに強くなっていった」
「吐き気がしてきたぜ、このサイコ野郎」

諸悪の根源だと指差した桑原に、は、違う、と頭の中で呟いた。違う。彼は止めなかっただけだ、と。
樹は視線を桑原に向け、否定した。自分は何もしていない、と。

「俺はただの影。変わっていく彼を見守り、彼の望むままに手を貸しただけだ。そして、これからもそうするだろう」

樹の視線が再びへ戻った。

「俺は、お前の父親の気持ちがよくわかる」

は目の前に立った樹に息をのんだ。

「真っ白な半紙を墨汁を垂らして黒く染めていくように、純粋無垢な少女に黒い考えを植え込んでいく」

ハッと蔵馬と飛影は構えたが、逃げようとしないにぐっと拳を握った。

「わかっていただろう?」

わずかに開いたの目を覗き込むように、樹は柔らかく笑んだ。


初めて真っ赤に染まった部屋を見ても、何も思わなかった。ただ臭いと思ったくらいだった。

初めて妖怪を倒せと言われても、躊躇せず殺した。ただすごく疲れたくらいだ。

それが普通でないこともわかっていた。



半紙が、徐々に、染まっていく。



「お前は本当に美しい」

樹は嬉しそうに目を細めた。

「仙水とは反対に、その純粋さ故に、すべてを受け入れる。ただ、そこにある、ありのままをな。それはお前の美しさを際立たせる」

は逸らせなかった目を一度閉じた。

「どうして」

震えるように唇からこぼれた言葉に、樹は笑みを濃くした。

「知っているさ」

揺れる瞳に、樹は愛おしさを感じた。

「ずっと忍と俺は、君を見ていた」

は、一生懸命頭の中で樹と仙水の顔を探した。会ったことはない。見ていたということは、会ったわけでないということに気付いた。

「見ていた?」
「ああ、悪も善もなく、醜さも美しさも、すべて、そのままを受け入れるお前をな」

にぃっと樹の口角が上がった。

「少しずつ半紙を汚していくことに喜びを感じる相手に気付いていながら、従順にそれを受け入れながらも、汚れない部分はそのままに保っている」

先ほどよりも大きくの目が開いた。



今日から君のお父さんだ。笑ってくれた。

どうして、私を娘にしたの?

守るために、戦いを覚えた。笑ってくれた。

戦いをそばでみるため?

それを倒せと言われた。躊躇なく殺すと喜んだ。その顔が嬉しかった。それが異常だとわかっていた。それでも、嬉しかった。

なぜ、私を娘にした?

世間一般から見たら、それが悪だと理解していた。そんなことはどうでもいいと思っていた。

霊力があったからか?

愛してるよ。そうだ。父さんは愛してくれていたから、私を娘にしたんだ。


本当に?



半紙が、徐々に染まっていく。



ぐるぐる回りだした思考には黙った。揺れる視線はどこも見ていない。樹は嬉しそうにほほ笑んだ。

「なーに、わけわかんねえこと言ってんだ、この変態野郎!!っかあ、ちゃんに触ってんじゃねえよ!」

桑原の声にはビクリと肩を揺らした。樹の手がから離れた。蔵馬の奥歯がギリッと鳴った。

「できるならこの場でお前を殺してやりたい」

樹を殺せば亜空間からは出ることができない。

「忌々しいかぎりだ」

睨みながら呟いた飛影を、樹は笑った。

「我々は彼等の戦いをここから見守るだけだ」

は黙ったままだ。





 

  染

     ま
   る





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