遅すぎた決断



圧倒的な力だ。古傷だらけの体が華麗に宙で幽助を蹴り落とすのを見て、は思った。
ぐるぐるする思考を一度止めた。人前で動揺するのは得策ではない。反省していた。

「立てー!浦飯ー!」

外野は黙ってろ、と桑原の声に幽助が言った。
裏男の目から、桑原、蔵馬、飛影、御手洗の四人は外を見ていた。その後ろからは外を見ていた。の右斜め前で、樹は外を見ていた。宣言通り、手を出す気はないようだ。

「もう落ち着いたのか」

樹の言葉には視線を向けた。

「あんなので動揺なんかしない」

動揺はしていた。それでも強がって見せた。その姿に樹は笑みをこぼした。

「俺の攻撃が読めるって言ったな!」

幽助が突然水の中を泳ぎ出した。

「バカか!こんなところで水泳教室やってどうすんだ!?」
「確認せんでもバカだ」

桑原と飛影は、幽助の行動に呆れた。は、何かを考えている、とその目を見て思った。ぐっと拳を握った。
シャツを破いた幽助が仙水の腕を捕えた。連続で仙水の腹を殴りだした。しかし、その瞬間、腕から機関銃のようなものが現れ、幽助の腹を打ち抜いた。

「なっ!」
「浦飯!」

幽助が地面の上で苦しそうに唸った。

「霊気の塊を弾丸にしたらしいな」

ひゅっとは息をのんだ。仙水の顔つきが変わった。突然怒鳴りだした仙水に、驚愕した。

「野郎、ぶち切れやがった!」

樹は、桑原の言葉を否定した。

「違うな。入れ替わったんだ。腕に仕込んだ気硬銃を仕えるのは、カズヤだな」

何をいってるんだと問いかけた桑原に、がぽつりと呟いた。

「多重人格」

樹は肯定するように頷いた。

「その通り。仙水の中には本来の人格、忍も含め、七人の別の人格が住んでいる」

知らなかった、と御手洗が呟いた。

「さっきまで戦っていたのは、理屈屋のミノル。浦飯に思わぬ反撃をくらったショックで、カズヤと交代したらしい」

カズヤは七人の中でも殺し専門の人格だと説明した。苦しそうな声を上げる幽助を見て、桑原が霊剣を出した。は、霊力の無駄遣い、と冷静に思った。

「どけ!」

飛影が剣で切ろうとしたが、失敗に終わった。は、意外そうに飛影を見た。裏男だと言ったのは飛影だ。それなのに、ただの剣で切ろうとするとは思わなかったのだ。そっと自分の手を見た。開いて、閉じた。

「くそう、俺たちにはどうすることもできねーのかよお!」

ひひひ、と外で仙水が笑っていた。ぐっと幽助の頭を持った仙水が、気硬銃を顎へ向けた。

「幽助!」
「浦飯さん!」

く、と飛影は奥歯を噛みしめた。

「うらめしいいい!」

桑原が叫んだ。

「忍!やめろ」

コエンマの声が響いた。
桑原は霊剣を振り回した。無駄だと言われ、樹へ襲いかかろうとした。飛影が舌打ちをしながら霊剣を受け止めた。は、樹の前に立っていた。

「飛影!なにしやがんでい!」
「頭を冷やせ」
「ここから出られなくなるわよ」

が静かに言うと、桑原は大きく舌打ちをして、霊剣を消した。守るように前に立ったに、樹は嬉しさを覚えた。
外では、幽助が霊丸を撃った。それは外れ、洞窟の岩を崩した。コエンマは仙水を止めようと必死に話しかけていた。

「俺たち七人で決めた」

能力者のことではなく、多重人格のことだったとそこでそれぞれが気付いた。

「やつは初めから、たった一人でこの計画を」

飛影の呟きに、樹が、そうさ、と肯定した。そして、徐々に増えていった仙水の人格について告げた。は、目を閉じた。

「おかげで、仙水忍本来の少年のような純粋な心は少しも汚れることはなかった」

ナルという女性もいるのだと説明を続けた。は、多重人格というのは大変そうだ、と思った。

「やめろおお!こっちまで頭がおかしくなっちまう!」

桑原が頭を抱えた。は腕を組んだ。

「哀れね」

はぽつりと呟いた。スッと樹の視線がに向いた。

「そう。だから、俺も忍もお前に惹かれた」

の視線が樹へ向いた。

「忍が受けた衝撃を、お前はあっさり受け入れた。新しい人格を作ることもなく、相反する考えを同時に持つことができた」

飛影はそれを聞いて、全くだ、と頭の中で呟いた。の特性だ。戸愚呂や左京と共にいたのに、自分達と違和感なくいることができる。それは、相反する考えを同時に持つからだ。そして、先ほど樹が言ったように、すべてをありのままで受け入れるからだ。

「それはより一層、君の父親を楽しませただろう」

が目を細めた。

「・・・黙れ」

低くなったトーンに御手洗は息をのんだ。

「貴様に、何がわかる」

手に刀が現れた。ハッと蔵馬と飛影がを見た。樹は苦笑を浮かべた。

「…次元を切る能力者だと、言っていたらしいな」

が自分の刀を見ながら呟いた言葉に、樹はわずかに目を丸くした。が刀を振り上げようとした瞬間、慌てて裏男を操った。
すぽーんと裏男の口から吐き出されたは、ちょうど言い争う幽助とコエンマにぶつかった。

「いってえな!おい!」

はすぐに幽助の背中から立ちあがった。ごめん、とすぐに謝りながらも、なんでこんな位置に吐き出すんだ、と裏男を睨んだ。コエンマは気を失っている。仙水はの姿を見て、右側だけ口角を上げた。

「なんで、おめえだけ出てきてんだ?」
「さあ」

は肩をすくめて誤魔化した。まあいいや、と幽助は仙水を見た。仙水の中で一番強いやつを出せ、と。片眉を上げた仙水は、何を言っていると問うた。弱すぎるのだと告げた幽助は、仙水の腹を再び殴打した。

「ぐおおお」

腹を抱えて、地面で悶えた。幽助のスピードがわずかに上がったことに気付いたは、ちらりと幽助を見た。突然呻き声が止み、ぞくりと寒気を感じた。仙水を振り返ると、ゆっくりと立ち上がっていた。幽助とは、雰囲気が変ったことから仙水の別人格が現れたのだと察した。

「てめえ、だれだ」

幽助が問うた。

「忍ですよ。はじめまして」

仙水が左手を幽助に差し出した。

「そう。君たちと話しをするのは初めてだ。というより、人前に出ることすら何カ月ぶりくらいか」

ゆっくりと仙水が幽助に近づき、左手を差し出した。

「よろしく」

しかし、幽助はその手を取らず、左手で殴りかかった。しかし、幽助の手を掴みひねりあげると、地面にたたきつけた。そのまま腹を左足で踏みつけながら、気硬銃で幽助の頬を殴った。桑原が幽助を呼んだ。

「よろしく」

仙水はそっと幽助の左手を取って握手をした。殴りかかった幽助を避け、裏男を見上げた。

「樹、スペアの服と腕を」

新しいシャツと腕を樹から受け取ると、仙水はへと近づいた。は動かない。動けなかった。

「ああ、やっと会えた」

嬉しそうに仙水は、柔らかい微笑みを浮かべた。



そっと仙水の手がの頬に触れた。優しい手を振り払うことができなかった。その触り方が、よく似ていた。そっと指が頬を撫でた。

「ずっと会いたかった」

そっと近づいた顔には目を見開いた。視界には仙水の閉じた瞼。唇に柔らかい感触。

「ッ!」

バッと振り上げたの手を避けるように仙水は後ろへ跳んだ。の右手から放たれた霊気の塊は、ドンと洞窟の壁を少し崩れ落とした。
が幽助の霊丸のようなものが放てたことに驚いた。とはいえ、咄嗟のことだからできたことだということを知っているのは本人だけだ。

「かわいいな」

頬を赤くしたまま睨みつけるを見て、仙水が笑った。はごしごしと拭うように、左手で唇をこすった。何故。の頭の中に浮かんだ疑問は、声にはならなかった。誰にも答えてもらえない。
樹は嬉しそうな仙水を見て、笑みを濃くした。

「嬉しそうだ」

小さく呟いた言葉に、飛影がそっと視線をやった。

「長年の恋が成就する瞬間というのは、こういうことなんだろう」

桑原が、ああ、と声を上げた。

「成就ってのは、両想いでこそ!だろうが!あれのどーこが成就だ!」

騒ぐ桑原を鼻で笑った。

「忍はずっと彼女を見ていた。そして、ずっと彼女に会いたがっていた。やっとそれが叶って嬉しいのさ」

蔵馬は、く、と喉を鳴らした。外にいるを睨んだ。迷っているのか。まだ、この状況になっても。
チッと飛影が舌打ちした。不愉快だ。余裕そうに笑みを保ち続ける樹も。外で嬉しそうにする仙水も。避けなかったも。

「一緒に魔界を見に行こう」

デートに誘うような甘い声に、は戸惑った。一体何を考えている。その甘さも、その言葉も、思い出させるのはただ一人。
幽助は、けっ、と言いながら、の前に立った。

「てめえを倒す」

その言葉に仙水は、面白い冗談を聞いたような顔をした。

「私を、倒す、だと?」

ははは、と大きな笑い声を上げると同時に、光が仙水の体を包み始めた。風が強く吹き始め、地面が揺れた。

「まさか、聖光気」

やっと目を覚ましたコエンマが、仙水の姿を見て呟いた。

「弱い者いじめになってしまうかもしれないな」

幽助の体が後ろへ吹っ飛んだ。それでも、めげずに幽助は殴りかかった。だが、仙水に傷はつかない。

「ッ!」
「もう、休みたまえ」

掴まれた腕がぽきりと鳴った。幽助が叫んだ。だが、一瞬はなされた魔封環は、幽助の足元にあった。仙水の顔面に靴を投げていたのだ。

「まだ、死にたくないだろう?」
「降参よりマシだ」

コエンマが止めに入るが、幽助は止めるなと告げた。何かつかめそうだと言う幽助を見ながら、は本当だろうかと考えた。

「きっとすげえことが起きるぜ。そうなる前に止めを刺しにこいよ」

挑発した。は、肌がびりびりする感覚を覚えていた。強さを肌で感じる、というのはこのことか。緊迫した状況とは逆に、のんびりと思った。
洞窟が崩れていく。仙水は、人間界では五分の力も出せないと告げた。

「ストレス感じるって言うならよ。全力で暴れてみろよ!」

幽助の挑発に、仙水が怒りの表情を見せた。

「ばかものめが!それが傲慢だと言うのだ!」

くわっと開いた目と同時に一気に圧が放たれた。

「ちっ」
「うっ」

幽助とコエンマ同様、も、くっ、と声を漏らした。結果の面積を最小限に抑えるためかがめた体を支える足に力が入った。コエンマと幽助の体が吹き飛び、洞窟の壁へとぶつかった。

「浦飯君!コエンマさん!」

のピッと頬や腕にできた傷から血が出た。

「おっと、失礼」

一気に圧力が緩み、片膝をついた。わずかにの息が荒くなった。

「すまないね。君に傷をつけるつもりはなかったんだ」

慈しむような目がを見た。なんて力だ、とそっと仙水を見上げた。
不釣り合いな見つめあいだ。目があった瞬間は思った。

「うあ」
「うう」

コエンマと幽助が地面に両手をついた。仙水の視線がから外された。

「俺は花も、木も、虫も、動物も好きなんだよ」

だから全力で暴れないのだ。仙水の憎しみは人間と言う生き物だけに向けられている。ああ、そうか。は頭の中で呟いた。

「嫌いなのは、人間だけだ」

この人は左京とは違うのだ。改めて思った。よく似ている。血を求め。混沌を求め。闇に惹かれた男だ。でも、違う。

「俺はおめえが嫌いだ」
「立ちたまえ」

にっこりと笑った。

「とどめを、さしてやろう」

魔封環をよこせ、とコエンマが幽助に要求した。だが、すでにそれは仙水の手の中にあった。好都合だ、とコエンマが呟いた。右手を出したコエンマが叫んだ。

「魔封環!」

大きな光が仙水へ襲いかかった。その光には驚いた。こんな力があったのか、あのおしゃぶりに。初めて見たときから不思議には思っていたものの、口には出さなかった。幽助たちも知らなかったのかとは裏男から聞こえた声に思った。
仙水がそれを手に握り、叫んだ。コエンマが驚いたように、ばかな、と呟いた。光が消えた。

「七人の人格の中で、俺だけが聖光気をつかえる」

聖光気を使える相手に魔封環はきかない。これまでか、とがっかりするコエンマとは反対に、幽助が笑って見せた。

「あきらめんのは、まだ早いぜ」

はジッと幽助を見た。何故笑う。
裏男の中で、桑原は嬉しそうに笑った。まだ策があるのだと。だが、蔵馬は気付いたように呟いた。幽助と戸愚呂が戦った時に桑原がしたように、幽助も殺されて、怒る桑原たちに賭けようとしているのだと。そんな無茶な、と御手洗が呟いた。

「バカ野郎!浦飯!よせえ!やめろおお!」

桑原の声が外へ響いた。

「ゆ、幽助」
「言っただろ。俺はもう魔界へのトンネルが開こうが、とんでもない妖怪がこようが、関係ねーんだよ」

幽助が仙水を見た。

「奴との一騎打ちに決着をつけてぇだけだ」
「止めをさせって、わけか」

まさか、とは幽助を見た。

「どうした?早くやれよ。お前の強さなら一瞬だ。俺が保証するぜ」

わずかに大きくなった目は、蔵馬が気付いた答えに辿りついたのだ。

「浦飯ぃ!聞いてんのかこらああ!俺は!俺は!てめえだからやったんだぞお!」

蔵馬が小さく桑原を呼んだ。だが、桑原は叫び続けた。

「おめえがやるこたあねんだよ!おい、うらめしぃ!俺はてめえだから!てめえだから!うらめしいいい!」

桑原が突然叫び出した理由に繋がった。

「俺は許さねえぞ!絶対許さねえ!そんなやつに負けちまうのか!てめえ!てめえは、おれが」

亜空間に桑原の涙が落ちた。

「さあ、早くやらねえか!」

幽助の挑発は続いている。
裏男の中で、蔵馬も飛影も外へ出すように要求した。

「俺は誰が欠けても嫌だ」

だが、樹の答えはシンプルだった。

「断る」

逃げる可能性を述べ、そっと外を見た。何故止めを刺さない。

「何故来ねえ」
「さあな。つまらんことだ」
「野郎…こねえならこっちから行くぜ!」

幽助が跳んだ。そして、仙水に蹴りを入れた。

「もうちょっとなんだよ」

何かがつかめそうだ、という幽助を見ては、汗が背中に流れたのを感じた。本当なのか。まさか。

「浦飯、さらばだ」

体が動かない。は自問した。

私は、本気になれば、彼に勝てるだろうか。

そっと自身の腕を見た。切り傷がところどころできている。は自答した。

きっと無理だろう。

魔界の穴へ視線をやった。うじゃうじゃと妖怪たちが早く出たがっている。は自問した。

魔界に行きたいのだろうか。人間界を壊してでも。

ゆっくりと、目を閉じた。


『私の最大の夢は、この私の体ごと吹っ飛ぶ』

そうだ。父さんの夢はもう存在しない。父さんと一緒に消えたのだ。

『愛しているよ』

ゆっくりと目を開いた。は自答した。

私は父さんと生きていた世界を大事にしたい。

「うらめしいいいいいいい!!!!」

浦飯君達と共に生きたい。



目を開いた瞬間、映るのは宙を舞った身体だった。




UP 04/05/14