−SCENE 19−
−月曜日−
「はあー、疲れたー」
ベッドに、ばったりと菊丸は倒れこんだ。
「アイツ、あんな風に笑うんだ・・・」
人間だから当たり前なのに、すっげー驚いた。
閉じた瞼に浮かぶのは、初めて見た姿だった。制服ではない、青いドレスを着て、長い髪を結いあげていた。ふわりと微笑みを浮かべて、隣に立った男と楽しそうに話していた。とても自然な姿。けれど、こちらに気付いた途端に、その顔はすぐに変わった。穏やかさや楽しさや嬉しさも全部隠してしまった。
「なんで、だよ」
まるで、仮面をかぶったように、すべてを隠してしまった。そして、見えない壁が出来た。楽しそうに話してた相手にすら、一歩距離を取っていた。そうだ、と菊丸は思った。
今までそういうやつだと思ってたのは、そうじゃなかった。いつも、見えない壁をアイツは作っていたんだ。
『この後予定とかなかったよね?大丈夫?』
『だ、大丈夫です』
『から連絡先ちゃんと受け取ったから、まだ会場にいたら、と思ってさ』
『からお誘いなかった?』
そりゃないっしょ、と双子の片割れに当然のように言っている姿を見て、むかついた。なんで、と問えば、ぷっと吹き出された。
『だって、お前ら、のこと、知らなそうだもん』
「しらねーよ」
あんな風に笑うなんか、知らねーよ・・・
★☆★ ☆★☆ ★☆★
「おはよう、ちゃん」
掛けられた言葉には、一瞬動きを止めた。そして、声のした方へ振り向く。
「おはよう」
にっこりと不二に再び言われるが、は答えなかった。その隣にちらりと視線を向ければ、固まっている河村がいた。
「・・・なんですか、それ」
「なにって?」
不二が小首を傾げた。
「名前」
ああ、と不二は変らず笑顔で答えた。
「名前で呼ばれてたから」
コンサートの後に跡部と居たは、確かに名前で呼ばれ、名前で答えていた。だが、それが何故今自分が名前で呼ばれる理由になるのか、にはわからなかった。
「いいでしょ?」
否定を許さない笑顔で言われ、は無言なままテニスボールの入ったカゴを持ち上げて歩き出した。
「ふ、不二、いつの間にさんと・・・仲良くなったんだい?」
仲が良いようにはとても見えないが、他に言葉が見つからなかった河村はそう言った。
「ふふ、ちょっとね」
意味深な言葉を残して、朝練は終わった。
「ちゃん」
「・・・不二さん」
「なに?」
放課後になって、その日はじめて返事をされた不二は嬉しそうに返した。しかし、の眉間には皺が寄っている。周りからはちらちらと視線を感じているからだ。
「その呼び方」
「さっきいいって言ったでしょ」
いいとは答えてないのだが、無言を肯定と取った不二がそう言った。は何故不二が突然このような行動を取ったのかがわからなかった。
「跡部はよくて、僕はだめなの?」
知っている年数も関係も違うだろうと思いながらも、は黙ったままだった。
「跡部さんがどうかしたんすか?」
そばに居たリョーマが口を開いた。
「、って呼ばれてたんだよ」
「・・・なんで、跡部さんに?」
不二ではなく、を見ながら問うリョーマに、は問題がまた増えた感覚を覚えた。
「・・・幼いころから知っているんですよ」
「ふーん」
どこで見たんだろうかと思いながらもリョーマはドリンクを口にした。
「で、なんで不二先輩が名前で呼ぶことになるんすか?」
「・・・知りません」
私が知りたいくらいだとは少し困ったような表情で、リョーマの視線に返した。
「ってか、いつ不二先輩と跡部さんに会ったんすか?」
「・・・週末ですよ」
続く質問には素直に答えた。
「偶然です」
「ふーん」
また一口ドリンクを飲んだ。
「偶然でも会えて僕は嬉しかったんだけどな」
「ぶ」
まるで口説くようなセリフに、リョーマはドリンクにむせ、は一体何を言ってるんだという視線を送った。
「大丈夫ですか?」
「・・・大丈夫っス」
げほ、と咳をこぼしながらも、リョーマは答えた。
「今度また一緒にどこか行こうか」
またというのは正確ではない、とは心の中で返した。
「休憩時間、終わりですよ」
不二にコートに入るように言うと、自身はドリンクボトルの回収をはじめた。
「ガード堅いなあ」
「・・・ナンパしてもだめだと思うんすけど」
ってか今更ナンパって、とリョーマは呆れた。毎日のように会っている人間にナンパはおかしいだろう。そんなやり取りを遠目で見ていた人物の視線は、の背中に向いた。
「思ったんだけど」
菊丸が突然着替えている手を止めて、口を開いた。
「が家に人呼びたくないのって、実は、同棲、してるとか」
「ど、同棲!?」
部室の中に居た全員の視線が菊丸へ向いた。もちろん内容にも驚いのだが、嫌いだとあからさまに態度で示している菊丸の口からの話が出るとは思わなかったのだ。
「ほら、前にファミレスで阿久津が居た時に、アイツも誰かと居たじゃん」
その場に居た者たちの脳裏には、、と呼びかけた男との姿が浮かんだ。実際あの場に居たのは惺であり、それも他のスタッフも一緒だったのが、彼等はそれを知らない。
「アイツと同棲したいなんて思うやつ居るんスかね」
桃城がそういうと、菊丸の頭にはふと微笑んだが浮かんだ。リョーマは、ドリンクを飲みきると着替えるためにロッカーを開けた。
「別にいいんじゃないスか」
「お前、に懐いてるよな・・・」
理解しがたい、と言いたげに桃城はリョーマに言った。
「まあ、彼氏と住んでたら、そりゃあ邪魔されたくないだろうけど」
大石は、けど中学生でそんなことがあるだろうか、と思いながらも言った。がちゃ、と部室のドアが開き、自然と視線はそこへ向いた。
「マムシも、懐いてるけどなあ」
「ああ?」
突然呼ばれ、海堂は桃城を睨んだ。何のことだ、と言えば、横からリョーマが答えた。
「先輩のことっすよ」
「・・・ふん」
興味ないと言うように、海堂は自身のロッカーへと近づいた。
「同棲してるんじゃないか、って話っス」
がたん、とロッカーが音をたてた。海堂は、ふと行ったことのある家を思い出す。
「ぷっ、動揺しすぎ」
「んだとこらぁ!」
「海堂、桃、やめろって」
笑った桃城に海堂は掴みかかると、桃城も海堂のシャツをつかんだ。河村がなだめるように言った。
「だいたいが同棲ってなんの話だ!」
「アイツが人を呼びたがらない理由を考えてたんだよ!」
「だからってなんでそうなる!」
「実はやらしーやらしー同棲なんてしてたら、人も呼びたがらねーだろっつってんだよ!」
「アア?!」
睨みあう二人のそばで、リョーマはため息をついた。いつから同棲がいやらしい話になったんだとつっこむ者はいない。
「マムシちゃんは、が大好きなんだもんな!」
「ああ!?んだと、こら!」
「本当のことだろーが」
子供か、とつっこみたくなる言い争いに、河村はどうどうと二人を離そうと試みるが、二人の視界には映らない。
「が同棲してたら、マムシふられてんじゃねーか。振られマムシ!」
「うるせーんだよ!」
「傷心マムシは、現実を受け入れられねーってか」
ふん、と笑った桃城に海堂はブチっと自分の頭で切れる音が聞こえた。
「は別に同棲なんてしてねえ!」
海堂の言葉で、その場の空気が止まった。部室内の全員が手を止め、海堂へと視線を向けていた。海堂のシャツを掴んでいた桃城の手が緩んだ。ハッと海堂は自身の失言に気付き、反射的に桃城のシャツを放してロッカーへ向いた。
「ねえ、海堂」
不二に呼ばれ、海堂はびくりと肩を揺らした。
「なんで、ちゃんが同棲してないって知ってるんだい?」
ゆっくりと不二の方を向くと、その眼は全部言えと訴えていた。
「そ、れは・・・は、従兄と暮らしてる、って前に言ってんで・・・」
奏一が海外のトーナメントでしばらく居ないと以前言っていたの言葉を思い出した海堂はそう言った。暮らしているとは聞いていないが、おそらく日本に居る間はあの家で生活しているのだろうと思った。家を知っているとわかれば、案内しろと言われるのは目に見えているため、海堂はなんとしても誤魔化そうと思ったのだ。
「へえ」
問い詰めるような視線に、海堂は居心地の悪さを感じた。そして、いくつもの視線を感じながら急いで着替えを済ませると、誰かに引き留められる前に、と慌てて帰った。
UP 04/03/14