−SCENE 21−
−悪い知らせ−
雨の日が続いていて、テニス部は体育館で筋トレをメインにすることにした。
突然スミレが体育館の入り口でを呼び、は珍しいと思いながらもすぐに駆け寄った。どこかシリアスな雰囲気をスミレから感じ取り、僅かに首を傾げた。そして告げられた言葉に、は耳を疑った。
「いま、なんて」
大きく息を吐いて、スミレは先ほど告げた言葉を繰り返した。
「いいかい、落ち着いて聞くんだよ。今病院から電話があって、奏一が救急車で運び込まれたそうだ」
は、血の気が引いていく感覚を覚えた。地面がまるで逆さまにあるような、まるで身体が回転しているような感覚。
「車にあてられたらしい」
頭に浮かんだのは、古い記憶だ。
『――ッ!』
冷たい雨に濡れたアスファルト。地面に横たわる身体。耳につくサイレンの音。ぬるりとした生温かい感触。真っ赤に染まった手。
「」
「そ、いちが」
心配そうにスミレが呼んでも、の心はここにあらず。震えはじめた身体を抱きしめてやろうと手を伸ばしたが、は突然体育館から駆けだした。
「!待たんか!」
ハッとスミレは大きな声を上げるが、は止まらない。
「ッ!」
「!?」
突然振り返って走りだしたに、ぎょっと目を見開いた海堂はよけきれずにぶつかった。尻もちをついたが、を受け止めた。スミレが引きとめるように声をあげていることにも気付き、なんとか避けた菊丸は首を傾げた。
ふらりとは立ちあがって、何も言わずに渡り廊下から外へとそのまま走りだした。
「な、なんだあ?」
「さん、どうかしたんだろ?」
海堂は何も言わなかったに驚いた。様子がおかしいことに気付き、とっさにの後を追いかけた。
「ちょ、海堂!」
追いかけ始めた海堂の後を菊丸は追いかけ始めた。
「こら!おまえたち!」
スミレが叫ぶのが後ろで聞こえたが、の方を追いかけた。校門を出るとタクシーを拾うのが見えた。
「あ」
「なにやってんだよ、海堂ぉ」
はあ、と溜息を菊丸が吐いた。自分も思わず追いかけてきてしまった。
「ほら、行かないの?」
「不二先輩」
「不二!乾!」
いつの間にか後ろから追ってきたらしい不二が並んでいた次のタクシーのドアに手をかけた。早くしないと無駄に濡れる、と乾は急ぐように告げ、前の席へと乗り込んだ。
「じゃ、越前たちは、後で」
「おわっ、おチビ!いつの間に!」
菊丸は、いつの間にかリョーマが隣になっていたことに驚いた。大石と桃城も来ていた。タクシーに海堂と不二が乗り込むと、驚いている場合じゃないと、慌てて菊丸もタクシーへと乗り込んだ。
「あのタクシーを追ってください」
「は?」
突然乗り込んできた中学生たちにタクシーの運転手は驚いたが、はやく、と不二が急かすと、アクセルを踏んだ。
「どこ行くんだろうにゃ」
「さあね」
海堂は、ぶつかったときに一瞬見えたの表情を思い出した。どこか泣きそうな表情だった。近い表情を見たことがあったのだ。それは、以前海堂が雨の日に借りたあのシャツの話をした時の表情に似ていたのだ。
しばらくして、前のタクシーは目的地へ着いたように見えた。
「病院?」
乾はくいと眼鏡をあげた。ここは手塚が通っていた病院だ、と頭の中でその病院のデータを引き出した。メールで大石に病院の名前とを送った。
「救急の方だ」
駐車場ではなく、通常救急車専用であるはずのところへタクシーは停まった。すぐにが降りるのが見え、ここで、と不二はタクシーの運転手に代金を渡した。その間に、乾、海堂、菊丸の三人はタクシーを降りた。
関係者じゃないのに入っていいのだろうか、と思いつつも、菊丸はを追いかける他のメンバーの後へ続いた。一体なぜこんなところに来たのか、と緊張感が走った。
「すいません!」
近くを歩いていた看護婦を呼び止めようとしたのが見えたが、それは違う声によって止められた。
「」
「景吾さん!」
は、跡部の腕をつかんだ。
「奏一が!」
「ああ、奏一と一緒にいた」
落ち着け、と跡部はを抱きしめた。
「子供が突然道路へ飛び出して、アイツはそれをかばった」
が震えた。
「親父さんが手術している」
「おじさまが」
身内の手術は、いつでも複雑だ。その命が自分の手の中にあるのだ。成功すれば、自分の手で救うことが出来る。だが、失敗すれば、自分の手で相手を殺すことになる。感情を押さえ、冷静でいることも大切だ。正しい判断が出来るかどうかというのは、身内だからこそ難しくなるのだ。
手術室に入った叔父を思い、は鼻がツンとするのがわかった。
「で、てめえらは何でいる?」
その言葉で初めては海堂たちに気付いた。ハッと小さく息をのんで、ゆっくりと振り返った。
「突然ちゃんが走り出すからね」
不二が苦笑しながら説明した。説明になっていない、と思ったが口には出さなかった。
顔色の悪いに、海堂はぐっとこぶしを握った。従兄である奏一が交通事故にあったのだ。不安で当然だろう。だが、菊丸はそこまで怯える必要はないだろうと、空気を明るくさせようと口を開いた。
「にゃんだよー、。そんなにこわがんなくってもいいじゃん。おじさんがやってるんだろ?それなら安心じゃーん」
さっとから一瞬表情が消えた。だが、突然鋭くなった眼差しに菊丸は息をのんだ。
「勝手なこと、言わないで」
一歩前へ足を進めた。
「命なんて、どれだけ簡単に消えるか、知らないの」
、と跡部は小さく呼んだ。怒っている、と驚いた。
「毎日どれだけの人がここに運ばれて、毎日どれだけの人が死んでいくと思ってるの」
苦しそうに歪む表情から、海堂は目をそらした。
「命なんて、一瞬で消えてしまうの!どんなに医者が頑張ったって!どんなに医者が望んだって!救えない命なんてたくさんあるの!」
泣きそうな表情に、不二と乾は目を細めた。
「絶対安心なんてないの!」
悲痛な言葉に、跡部はぐっとを後ろから抱きしめた。
「、もういい」
震えるをそばの椅子へ座らせた。
菊丸はばつが悪そうに視線を泳がせた。気分を軽くさせようとしたのが失敗したのだ。むしろ先ほどよりも重くなった空気に、動けなくなっていた。
「何で跡部さんがいるんすか?」
を抱きしめていることに桃城は驚いて言葉を失ったが、リョーマはその疑問を口にした。しかし、その視線はに向いている。いつも冷静なとは別人のような姿に戸惑った。ち、と跡部は舌打ちした。すっとの身体を離した。
「売店に行くだけだ。すぐ戻る」
不安そうに見上げたの頭を、跡部は撫でた。
「てめえらも来い」
リョーマと海堂は、跡部の後をついて行ったメンバーの背中を見たあと、へ視線を向けた。
は跡部が離れると、指を交差して、祈るような形をさせた手を膝の上に乗せた。それはまるで両手で両手の震えを一生懸命押さえているように見えた。海堂はそれを目にして、どかっとの右隣に座った。自身の左手を差し出した。はその左手を見てから、海堂の顔を見て、再び左手を見た。そっと指をほどいた。その左手を自身の右手で握り、その上から左手で覆った。ぎゅっと掴まれた手から、海堂はの不安を感じ取った。そして、彼女を一人にしなくて良かったと思った。
リョーマはそんな二人を見て、どかりとの反対側に座った。挟まれてれば安心感もますだろうと。
「ありがとう」
ぽつりとは小さな声で呟いた。その言葉に海堂とリョーマ、珍しく丸まった背中のの頭上で視線を合わせた。
UP 04/04/14