−SCENE 27−
−隠したいこと−
「越前!パス!」
小坂田がリョーマを外に連れ出すと、桃城と菊丸がそこでボールを投げていた。桃城が、バスケやろうぜ、と誘ったのをきっかけに、いつの間にか全員が参加することになっていた。家の中が静かになったことに、は窓から外を見た。全員がバスケットボールのコートに集合していることに気付き、暗くなる時間だからと外のライトのスイッチをつけた。そして、せっかくだからと足首につけるウエイトを持って外へ出た。ブーイングがくると思ったが、意外なことに全員が素直にウエイトを足首につけ、本気でバスケットボールのゲームを始めたのだ。
「うっしゃー!勝ったー!」
「まだまだだね」
「ついてねーな、ついてねーよ」
それぞれ疲れから地面に座り込んだ。リョーマ様かっこよかったー、と小坂田がコートの外で騒いでいた。桜乃は苦笑を浮かべながらも、心の中で同意していた。
「なんかいいにおいするにゃ」
くんくん、と鼻を動かした菊丸が呟いた。
「本当っすね」
「うまそうな匂い」
「家の中からだね」
不二はそういうと立ちあがり、別荘の中へと入って行った。それに続いていくと、いい香りが別荘の中を漂っていた。
「あ」
「さんが作ったのか」
わらわらと戻ってきたテニス部は、キッチンに立っているを見て驚いた。
「ねえ、ちゃん」
呼ばれたは、カウンターの前へ立った不二へ視線を向けた。
「ごはんにします?それともお風呂にします?って聞いてくれる?」
「は?」
突然の言葉に、はぽかんとした。不二、と大石が慌てているのが見えた。
「黒いエプロン、似合うね」
はシンプルな黒いエプロンをしていた。エプロンに似合うも何もないだろう、と思いながら、自分のエプロンを見下ろした。
「ちゃんが作ってくれたんだね」
「強化合宿で、トレーニング以外で時間が取られるのは不本意でしょうから」
自分は雑用のためにいるのだとは思っていた。強化合宿がしたいと言いだした乾がほとんどトレーニングメニューを考えていた。
「シャワーが先かな」
「順番どうする?」
わらわらと出て行こうとするメンバーに、はハッとした。
「露天風呂」
告げられた単語に、振り返った。
「露天風呂に、湯が張ってあります」
到着して、露天風呂があることに大騒ぎしていた。外にいる大石でさえ凄いと声を上げているのが聞こえた。は、おそらく入りたがるだろうと思い、準備していたのだ。
我先にとどたばた露天風呂へと向かった。ありがとう、と大石と不二と河村の三人は礼を言ってから向かった。
「先輩、あの、ごめんなさい」
突然謝られたは首を傾げた。
「わ、私、おばあちゃんから、先輩のお手伝いするように言われてたのに・・・」
桜乃はしょんぼりとした。別に料理をすることなど苦ではない。目の前で落ち込まれて、はどう対応するべきか困った。
「まだ、初日ですから」
その言葉で、桜乃は表情を明るくした。小坂田はむうっと頬を膨らませながら、鍋のふたを開けた。ビーフシチューのいいにおいだ。
「おいしそう・・・」
ぽつりと呟いた小坂田に、は首を傾げた。
「小坂田さん?」
「ともちゃん?どうしたの?」
じーっと鍋の中を見ている小坂田に、桜乃も首を傾げた。
「小坂田さん、竜崎さん、よそうのを手伝ってください」
「あ、はい」
不満げな小坂田の表情に、は困ったように眉を下げた。リョーマが大好きだと公言している小坂田は、自身をよく思っていないと知っている。普段からあからさまな態度だ。さすがに、今回はレギュラー強化合宿の手伝いという名目で、が責任者という立場だから大人しくしているのだ。
「・・・小坂田さんは、お料理が得意だそうですね」
スプーンとナプキンを並べながら、が言った。以前一年トリオがリョーマと出かけた時に、小坂田がお弁当を作っていった。その話をは、耳にしていた。
「そうなんです、ともちゃん、料理上手なんです」
にこにこと桜乃が答えた。
「では、明日は小坂田さんにも手伝ってもらいましょう」
「いいんですか?」
料理アピールのチャンスだと小坂田は目を輝かせた。は、やっと笑った小坂田にホッとした。
「よーし、桜乃、明日腕によりをかけて作るわよ!」
「うん!」
ハイタッチをする二人を見て、ふと小さく笑みをこぼした。それも一瞬で隠れるのだが。
「腹減ったー」
「露天風呂から見える星空、って中々いいね」
「露天風呂になんか温泉の素かなんか入ってたのかな?濁ってたけど」
わらわらと入ってきた大石、不二、菊丸、乾の四人を、桜乃と小坂田は笑顔で迎えた。
「あそこの蛇口からは、温泉が出てるそうですよ」
が戻ってきたときに聞こえた誰かの疑問に答えた。
「豪華だね」
「別荘地では珍しくないそうです」
「温泉地だと、民家でも出るそうだ」
「まじ」
雑談しながらリビングのソファへ腰かけた面々に、桜乃が問うた。
「あれ、リョーマ君たちは?」
「ああ、全員ではきついから、順番に入ったんだ」
大石が答えると、そうなんですか、と桜乃はホッとしたようにいった。
「桜乃、私たちも入ろうね!」
「うん。楽しみだね」
にこにこと二人が露天風呂の話をするのを見て、は微笑ましく思った。そして、露天風呂というのは、意外と人気なのだという認識をした。
ふと、変な光景だ、とは目の前の景色を見て思った。ずっと来ていない別荘のリビングにテニス部の人間がくつろいでテレビを見ている。
「腹減ったッス」
「そうだね」
「お、皆出たんだな」
「飯にしましょう、飯」
残りの騒がしいメンバーが揃い、は桜乃と小坂田を呼んだ。二人がよそい、小坂田は、さあ召し上がれ、という言葉を皮きりに、いただきます、と声が揃った。
「おいしい!」
「うまッ」
「うまいね」
「さん、料理上手なんだね」
運動して腹が減っているという状態を除いてもうまいだろうと全員が思った。菊丸ですら褒め言葉を口にした。
は、いつも通り料理をしただけだ。そこまで感心されるほどのことではないと思い、自分はそんなに料理が下手そうに見えるのだろうかと小さく首を傾げた。桜乃は、今度お料理教えてください、と頼んだ。戸惑いながらも、はあ、と曖昧な答えを返した。
「ってかさ、こんな別荘持っちゃうようなスミレちゃんの知り合いって誰なんだろうにゃ?」
「そうですよねー。ねえ、桜乃は知らないの?」
「うん。おばあちゃんに教えてもらえなかったの」
「教えてもらえなかった?」
リョーマが桜乃の言葉にひっかかりを感じ、聞き返した。
そんな光景を前に、は静かにシチューを口へ運んだ。それにしても、とは視線をテーブルを囲むメンバーに向けた。よくも保護者なしの合宿を認めたものだ、と改めて思った。
「うん。なんか、合宿の場所は?って聞いたら、知り合いの別荘だって言うだけで。誰の?って聞いたんだけど、良く知ってるいいやつだ、って言うだけで」
「ふーん」
「やっぱりさ、お金持ちはお金持ちで難しいのかな?」
「英二、意味がわからないぞ」
自分の子供を送り出す親たちは、一体何を考えているのだろうか。まさかスミレがいないということを知らないということはないだろう。は、個性的な子供の親はやはり個性的なのだろうか、とふとそれぞれを見ながら思った。
「テニスコートとバスケットコートがあるってことは、スポーツ選手だったりして」
「月刊プロテニスの人とも知り合いだしな」
「でもさ、雑誌の人は昔から取材に来てたから知り合いなんじゃないのか」
ふと視線を感じ、は思わずそちらへ視線をやった。
「ちゃんは、どう思う?」
「・・・なにがです?」
話の内容を聞いていなかったは、視線を合わせなければよかったと後悔した。
「スミレちゃんのお友達って誰だと思う?」
「・・・知りませんよ」
「さんでも知らないのか」
は再びスプーンを口へ運んだ。そのあとも不二がじっとを見ていることに気付いていたが、そちらに視線は向けなかった。
全員が食事を終えると、が食器を洗おうとキッチンへ立った。それを見て、慌てて桜乃が、手伝います、と申し出た。
「小坂田さんと、露天風呂に入ってきてはどうです?何もしてないと言っても、バスで長時間座っていたのも疲れるものでしょう」
「でも・・・」
それは、も同じだろうと桜乃は思ったが、が、小坂田さん、と呼んだ。
「なんですかぁ?」
「竜崎さんと、露天風呂入ってきてはいかがです?楽しみにしていたでしょう」
「あ!そうだ!桜乃、行くよ!」
「え、でも、ともちゃん」
ぐいっと小坂田に腕を引かれ、桜乃はを困ったように見た。
「お湯が冷たくなっていたら、足してください。右の蛇口が温泉水だそうです」
そういうとは、手元の食器へと視線を移した。男子たちは、それぞれの部屋へむかったのか、もうそこにはいなかった。
一時間ほどたって、露天風呂から出てきた二人が、リビングへ現れた。
「喉、乾いちゃって」
ああ、とは頷くと座っていたソファから立ち上がり、すっとキッチンで水をコップに注いだ。
「ありがとうございまーす」
「あ、ありがとうございます」
「ぷはぁ、んまい」
「ともちゃん、なんかおじさんみたいだよ」
仲がいいな、と二人を見て思った。
「先輩も露天風呂、入ってきたらどーですか?」
小坂田の提案に、は小さく、そうですね、と返した。
「そろそろ、皆さんも寝る頃でしょうし」
その言葉に桜乃は、やっぱり、と思った。は皆の面倒をみるためにここに来ているのだと。不便を感じないように、きちんと色々なものに目を向けているのだ。誰よりも気遣い上手なのではないだろうか、と二人が飲み終わったコップを取ったを見て思った。
「ふああ。確かに、眠い」
「ともちゃん、部屋に行こう」
「じゃあ、先輩、おやすみなさーい」
「おやすみなさい、先輩」
おやすみなさい、とが言うと、二人は自分たちで選んだ部屋へと向かった。ふう、と息を吐いた。上の階もだいぶ静かになった、と天井を見て思った。そろそろ寝る支度をするか、と。
「ねえ、ちゃん」
カップを洗い終わったところで、リビングに人の気配を感じていたが、その声で誰だかを知った。カウンターの前へと座った相手に、は何を言われるのだろうかと構えた。
「喉でも渇きましたか?」
「ちゃんだよね」
質問の答えとしては見当違いな言葉に、は目を細めた。だが、続いた不二の言葉に、それは僅かに大きく開かれた。
「スミレちゃんの知り合いって、ちゃんだよね」
別荘の持ち主は君だろうと告げる不二に、はどう対処するべきかを考えた。
「竜崎先生とは確かに知り合いですね」
「ちゃんの別荘なんでしょ」
ストレートな言葉を投げられた。嘘をつけばいいのだとはわかっていても、それが嫌いだった。うまく誤魔化されてはくれないだろう、と目の前の相手を見て思った。
「なぜ、そう思うんです?」
肯定も否定もしない言葉に、不二は笑みを濃くした。
「ここに来て、僕たちはいろんな部屋を見てまわったけど、君はそうしなかった。まっすぐキッチンへ来たよね」
だからなんだと言いたげなの視線に、不二はすぐに続けた。
「竜崎さんが、トイレの場所聞いた時、迷わずに答えてた」
聞いていたのか、とは驚いた。
「・・・通りすがりに見えたんですよ」
「露天風呂のことも知っていたよね」
「それは、スミレさんに事前に聞いていました」
苦しい言い訳だと自覚していた。それでも、は頑なに認めない。
「バスケコートのライトをつけたのも、君だ」
見ていないはずなのに、断定する不二に、は眉間に僅かに力が入るのがわかった。
「皆さ、暗くなったら勝手につくシステムだと思ってたみたいだけど。テニスコートの方は、ライトがついていなかった。僕たちが戻ってきたときに、そこのスイッチ、押してたよね」
キッチンの窓から二つのコートが見える。だが、今はカーテンがかかっているため見えない。その窓の下にあるスイッチを指さして、不二はいった。
「これ」
窓のカーテンをずらして、外を見ながら不二はスイッチを押した。は自然と視線をそらしていた。コートのライトは、二つある。一つはコートの入り口と、もう一つは不二が押したキッチンの窓の下だ。窓の外では、コートが明るく照らされている。
パチッと再びスイッチを押し、コートのライトを消すと、不二はカーテンを元の位置へ戻した。
「ほら」
は、失態ばかりだとここ数日の自分の行動に頭を抱えたくなった。奏一が事故にあい、そのことで取り乱してしまった。テニス部のメンバーが見ているのにもかかわらず、震えてしまう身体を止めることもできず。それどころか海堂が差し出した手に甘えてしまった。本当は合宿も来たくはなかったのだ。奏一に言われてしまったから、思わず来てしまっただけだ。
同時に自分はいったい何を隠そうとしているのだろうかと冷静に思った。彼らに一体何を隠すことがあるのか。自分のことなどどうでもいいではないか、と投げやりな声が頭の中で囁いた。暴かれたなら、別に青学を去ればいいのだ、何を迷うことがある、と。まさか自分は去りたくないと思っているのだろうか、とハッとした。
「・・・そろそろ寝る支度をします」
突然浮んだ疑問に、愕然とした。自分のことなのに、わからない。そんな事態に、焦りを感じている。は、これ以上暴かれるのはごめんだというように、足早にリビングから出て行った。
「なにを、そんなに隠したいのかな」
残された不二がぽつりと呟いた疑問の答えは、誰も知らなかった。
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