−SCENE 29−
−オッドアイクイーン−
その後の空気はどんよりとしていた。持ってきたというサンドイッチを食べる間も、皆が無言だった。食べ終わった後、乾がトレーニングメニューを告げた。
「ねえ、ともちゃん」
「な、なに?」
「夜ごはん、どうしよう」
テニスコートでボールを指摘したマークへあてている間、二人は別荘の中へ戻ってきた。キッチンを見ても、の姿はない。おそらく部屋にいるのだろう。
桜乃の言葉は意味のある問いかけではないことを小坂田は気付いていた。ただ、沈黙がつらいのだ。
「とりあえず、私たちで作ろ」
手伝うために自分たちは合宿についてきたのだ。桜乃は、うん、と小さく頷いた。
案の定、晩御飯の時間になっても、は部屋から出てこなかった。静かに桜乃と小坂田の作った料理を食べた。朝のにぎやかな食卓が嘘のようだった。
「俺も手伝うよ」
食後に大石は食器を洗おうとした二人に声をかけた。昨日は皆すぐに二階へあがってトランプなどで遊んだのに、今日はリビングに残った。
「乾、なに読んでんの〜?」
「ああ、古い雑誌だ」
いつの間にか部屋から持ってきていたらしい。乾はテーブルの上に数冊のスポーツ雑誌を置いて読んでいた。それに菊丸が手を伸ばそうとした。海堂もそっと覗きこんで、一冊手にした。乾が眼鏡をくいと上げた。
「あ、俺、小さい時、その人の試合見たッス」
リョーマが言うと、え、と河村は驚き、うらやましい、と呟いた。その言葉に、俺もだ、と乾は頷いた。幼いころからテニスをやっていたメンツからすれば、雑誌に載っている人物は憧れの人物だったのだ。
海堂は開いたページに写る人物にハッと目を丸くした。
「これは・・・」
「だれ?」
中学に入ってからテニスを始めた菊丸には、誰だか分らなかった。そのとき、桜乃が驚いたように声を出した。
「先輩!」
その声で全員の視線がリビングの入口へ向いた。の目は、先ほどと違い、両方とも青い。
は、自分に向けられる視線に居心地の悪さを感じながらも、一歩部屋の中へと入って行った。その視線が、乾の手で止まった。ああ、とは心の中で呟いた。ゲームオーバーだ、と。
「やはり、気付いていましたか」
乾と不二以外が首を傾げた。は大きく、ふーと息を吐いた。
「今なら、質問を受け付けますよ」
菊丸は、自分の手の中にあった雑誌に目を向けた。そして、すぐにに戻した。
「まさか」
菊丸の呟きに、は頷いた。
「ええ、それは、私です」
数人が息をのんだ。
「私の目は、生まれつき、紫と青です」
が目を伏せた。
「両親は日本人です。それでも、私の目は平均的な色ではなかった」
部屋を見回すと、そこには薄い色素の目はないのだとは再確認した。劣性遺伝であるはずのそれらが出る確率など、ゼロに等しい。
「父は母に冷たく当たり、母は私に冷たく当たりました」
浮気を勘繰られても仕方がない。だが、身に覚えのない母にはかわいそうなことだったとは思った。
「私は、通常よりも頭脳も身体も、成長が早かった。それもあってか、私はいつも母に言われていました」
はゆっくりと目を閉じた。瞼の裏に映るのは、畏怖と怒りを持った母親の目だ。
「化け物、と」
実の子にそんな冷たいことを言えるのだろうか、と全員が驚愕した。
「そんな私を受け入れてくれた人がいました」
ゆっくりと開いた目は、やはり両方青い。コンタクトだとわかっても、片目はそうではないのだ。
「奏楽。私の従兄で、奏一さんの弟です」
跡部から話を聞いていたものは、ハッとした。
「彼は私に世界を見せてくれました。テニスを教えてくれたのも彼です」
演奏家であるのに、テニスをする。怪我をしたらどうするのかとはいつも怒っていた。
「彼らは、私がテニスで勝つと喜んでくれました」
二人が喜ぶ姿がとても嬉しかった。が思い出すように、小さくほほ笑みを浮かべた。その表情は、全員をさらに驚かせた。
「いくつか大会に出たころです。Non Limits World Tournamentが開催されることになりました」
「ノンリミッツワールドトーナメントってなんだよ?」
菊丸が問うとは雑誌へ目を向けた。
「性別も、年齢も、プロアマ関係なく参加できるトーナメントのことです」
そんなハチャメチャな企画がよく通ったものだと今更ながらには思った。
「私は、そこで優勝しました」
菊丸と桃城の視線は雑誌へ向いた。
「
異色眼女王というのは、その時にメディアがつけた名です」
「女王のように、綺麗な試合運びだったよね」
不二がふふっと思い出したように笑った。リョーマもそれを覚えていた。それはあまりにも強烈なイメージだった。自分と年の変わらない人物が、プロを完膚なきまでに倒していく様は、消そうと思っても消えるものではない。
「そのあとにプロのトーナメントにも、ゲストとして参加していたな」
乾の言葉には頷いた。スポンサーの話もたくさん来ていた。
「でも、ある時突然、出場する予定だったオッドアイクイーンは、トーナメントに姿を現さなかった」
何故だ、と問う乾の視線には自嘲気味な笑みを浮かべたあと、すっと表情がきえた。
「私が奏楽を殺したからです」
告げられた言葉に、桜乃と小坂田は震えた。何言ってるんだ、と海堂が睨んだ。
「私が、目の前に飛び出た子供を助けようとしたんです。それをかばって、奏楽は死んだ。私が殺したも同然です」
「それは違うだろ」
菊丸がむっとしたような表情で否定した。は菊丸がそんなことを言うとは思わなかったので驚いた。
「奏一さんも、叔父様も、叔母様もそういってくださいました。みんな、優しいままです」
不思議でしかたないというようなに、海堂は眉間にしわを寄せた。おそらく生まれた時に両親に拒まれたのが原因なのだろう、と数分前の話から分かった。くそったれ、と見たこともない人間に心の中で暴言を吐いた。
「ここは、奏楽と奏一さんがゆっくりしたいという時のために買ったものです」
別荘の持ち主は自分なのだと白状したに、まじか、と桃城はあんぐりと口を開けた。
「やっぱりね」
「不二先輩、知ってたんすか?」
「なんとなくだよ。越前」
ずっと使ってませんでしたけど、と付け足した。
「一応貸し出してはいましたが」
「なるほど、はビジネスの才もあるんだな」
ふむ、と乾が唸った。はビジネスというほどのことはしていないと思いつつも黙っていた。
「で、なんでコンタクトなんかしてるんすか?」
リョーマが問いかけるとは当然だろうというように答えた。
「人を不快にする必要がありません」
「そんな目の色で不快になるとかあんの?」
「普通と違うものを、人は嫌います」
の言葉に桜乃は心が痛んだ。やはり彼女は人のことを思って行動するのだと。大石も、顔を顰めた。
「そんなことで、俺らが態度変わると思ってるわけ?」
「私は」
「アンタの目が青だろうが、紫だろうが、茶色だろうが、アンタはアンタだろ」
その言葉に、はどこか驚いたようにリョーマを見た。
「もしかしてさぁ、表情変えないのって、人が不快にならないように、とかって思ってるわけ?」
図星だった。
「笑った方が不快じゃないっしょ、普通」
「・・・私をよく思っていない人が、私が笑うのを良く思わないでしょうから」
の答えに、全員が驚いた。そして、納得した。テニス部に来たその日からは無表情だった。それは平等に他の人たちが不快にならないように、という配慮だったのだ。
「おまえ、ばっかじゃねえの?!」
菊丸が立ちあがってを睨んだ。
「人が、笑ったから不快に思うやつなんか、ほっときゃいいじゃん!楽しい時に笑わなくてどうすんだよ!笑ってる方が絶対みんな楽しい気分になるだろ!」
一番を良く思っていなかった人物であると自覚していた。それでも、菊丸はの考え方に腹が立った。
「え、英二」
「お前のこと嫌いな奴が居たって、不快に思ってたって、笑えばいいじゃん!見返してやりゃいいじゃん!なんで笑わないんだよ!意味わかんねーよ!」
河村が菊丸を呼んだが、は目の前で肩を震わせながら怒鳴る菊丸に驚いた。
「親が化け物なんて言うなんて、そんなのは親がろくなやつじゃないだけだろ!お前が全部悪いなんてあるわけないだろ!」
ぽろりと菊丸の目から涙がこぼれ、は目を大きく開いた。
「お前が楽しそうにして、幸せそうにしてる方が、奏楽とかいうやつも喜ぶだろ!お前がそんな無表情でいたら、そいつが浮ばれねえよ!」
「英二」
大石が菊丸の肩に手を置いた。菊丸は、ぐすっと鼻をすすった。
「英二の言うとおりだよ、ちゃん」
不二がふふっと笑った。
「人を傷つけないために一線引いてるなんて、馬鹿のすることだよ」
「おいおい、不二・・・」
「タカさん、僕これでも怒ってるんだよ。近付こうとしてもさ、どんどん逃げるちゃんに」
「そ、そりゃ、気持はわかるけど・・・」
河村はぽりぽりと頬を掻いた。
「言っただろう、僕たちには君が必要なんだよって」
は、手塚を空港で見送った日を思い出した。彼らはあの時から、本当に自分を受け入れてくれていたのだろうか。自分を見ても不快だとは思わないと。
「私は――」
が顔を顰めた。泣きそうな表情に、皆が内心慌てた。
「私は、化け物です!疫病神なんです!私がそばにいたから奏楽は――!」
その言葉に、全員がすべてを悟った。という人物は、自分のせいで、人が傷つくのが嫌なのだ。人が傷つくくらいなら、自分が孤独の中で生きたほうがいいと思っているのだ。だから、人を自分から遠ざけるように仕向けていたのだ。
「本当に、ばっかじゃねえの!!」
菊丸が大声を上げて、ぐいとの襟元を掴んだ。
「お前がいたって俺たちは死なないし!不快にも思わねえよ!!」
断言した言葉に、の目から涙がこぼれた。それを見て、ハッと菊丸は手を離した。は涙で目がごろごろする感覚を覚え、うつむいた。異物が手のひらに移った。ゆっくりと顔を上げた。
「ここに、居ていいの?」
ぽろりと薄紫色の目から涙が落ちた。
「当たり前だろ!」
「それがわからないなんて、まだまだっすね」
「いなくなる方が、許されねーな、許されねーよ」
「いなくなる方が、困るよ」
「さんには、迷惑掛けるだろうけど」
「俺だけでは、思いつくメニューが限られているからな」
「・・・特別メニューの、新しいのがいる」
それぞれが笑ってみせると、は嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
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