まさか、あんなに、やさしいひと、だったなんて。
サクラサクサクラノセイ
弐
「好きなようにするといい」
「ありがとうございます」
これから住むことになる朽木家の邸内を案内された後、そう白哉に告げられたは礼を言った。婚約しているうちに慣れておくといいという計らいからだった。その気遣いには素直に嬉しく思った。いつも厳しいといわれ、感情を表に出さないと有名な六番隊隊長。それは、実際が何度か十三番隊の隊員として白哉を見たことがある故に知っていることだった。その印象が強いのため、は、優しい、と些細なことでも感じてしまった。邸内を案内するのならば、わざわざ当主である白哉がする必要はない。それでも、わざわざ時間を割いて、案内をした白哉には嬉しく思った。
「あ」
中庭に目を向けたが小さく声を上げると、白哉が振り返った。は、まるで引き寄せられているかのように目を奪うものの方へと足を向けた。すぐそばに人の気配を感じ、はハッと振り返った。
「・・・失礼致しました」
案内をしてもらっている途中で、勝手にふらふらと部屋を出てしまったことに対し、頭を下げた。だが、白哉はの視線の先にあったものを見た。
「花、か」
「え、あ、はい・・・」
隣に立った白哉を見上げると目が合った。
「花が好きか・・・?」
「はい」
ふわりと笑ったは、白哉から離した。
「花を見ると、心が癒されます」
穏やかな表情で告げたに白哉は、そうか、と呟いた。
「こちらの花達はどれもとても綺麗で、癒されます」
庭師の方が愛情を注いで育てているんでしょうね、とは続けた。
そして、しばらくの沈黙が続き、はちらりと横目で白哉を見た。端整な顔立ちをした白哉は、家柄もあってなのか、隊長という立場もあってなのか、あるいはすべて総合してなのか、死神達の間で話題になっていた。もちろん隊長格ともなれば、どの隊でも話題にはなるのだが。は、憧れたり、恋心を抱いた女性達の話を時々耳にしていた。もっとも、の中のイメージは自身で見た仕事中の白哉とルキアがする話の中の白哉で構成されている。先日の見合いで一言しか交わさなかった。それに比べれば、邸内の案内とはいえ、今回はずいぶんと言葉を交わしている、とは思った。そして、ふとこの数日間浮かび続ける疑問が再び頭に浮かぶ。
なぜ、この人は私を選んだのだろうか。朽木家ならば縁談がたくさんあり、選択肢はあったはずだ。そして、いや、とは心の中で自身の言葉を否定する。この人が再び結婚する必要はないはず、と。そこで、の思考は強制的に停止された。
「ルキアが、何度か花を持って帰ってきた」
呟くように告げられた言葉には思い当たる事を思い出し、ああ、と声を出した。
「隊舎で育てていたものを何度か、妹君にお渡ししたことがあります」
「・・・とても、喜んでいた」
白哉の言葉には目を僅かに見開いた。ルキアの話ではルキアのことを聞かないのだといっていた。聞くとすれば仕事の話であり、自身が朽木の恥にならぬように聞いているのだと。しかし、ルキアが気づいていないところで、白哉はきちんとルキアの行動を気にしているのだと、は心の奥でじわりと暖かくなるのがわかった。
すると、若、と長いこと朽木家に勤めている家老が声をかけた。白哉とは同時に振り返り、家老は白哉に用を告げる。それには白哉がその場を離れなければいけないことがわかり、自分はどうするべきかを考えていた。
「すぐ戻る」
はっきりと自身に向けられたことには驚いた。白哉の後ろに控えた家老もぎょっと目を見開いたが、すぐに微笑みを浮かべる。は婚約者とは言え、少し恥ずかしさを感じながら、微笑んだ。
「いってらっしゃいませ」
目を細めた後、白哉はその場を家老と共に離れた。
残されたは、小さく息を吐き、肩から力が抜けるのがわかった。緊張していたのか、と苦笑する。いくら婚約者とはいえ、まだ二度しか会って話していないのだから仕方がないのだが。
すぐ戻るといった白哉は宣言どおり帰ってきた。そして、食事を共にしようという話になった。そのまま食事を済ませると、庭の花を見ようということになった。月の形が徐々にはっきりしだす。家老の気遣いにより、月見酒でも、ということで二人の間には盆と徳利と猪口が用意された。がそっと徳利を持って、白哉に微笑みを向けると、白哉は猪口を手にした。とくとく、と静かに注がれた酒を口にする。すると、今度は白哉が徳利を持ち、に猪口を持つよう促した。そのことには慌てた。
「あ、あの・・・」
困ったようにが小さく声を上げると、白哉は徳利を僅かに傾けた。そして、よい、と言った白哉の言葉には素直に従う。
「ありがとうございます」
さきほどまで赤かった空が徐々に青くなってきた。が一口飲むのを横目で見ると、白哉も猪口を手にした。
しばらく沈黙が続いていると、パタパタと足音が聞こえ、二人でそちらに目を向けた。使用人の男と女が慌てて、申し訳ありません、と謝り、失礼いたします、と断ってから白哉を呼んだ。男が白哉に耳打ちすると、白哉は、断ればよい、と返した。それが、と気まずそうに女が白哉に小さな声で告げる。
その様子をは、一瞬見た後、困ったように視線を泳がせた。いらっしゃって、と聞き取れたは、おそらく客人でも訪れたのだろうと思った。すると、話が終わったのか、白哉は苛立ったように顔をゆがめた後、を見た。
「すぐ、戻る」
「は、い」
の言葉を聴くと、白哉は立ち上がり男を連れて歩き出した。残された女中のお菊は、様、と申し訳なさそうに笑みを浮かべて徳利を手にした。それをはやんわりと断り、困ったように笑った。
「お客さまがいらしてるのでしょう?でしたら、私はもう帰りましょう」
「い、いえ!」
お菊は慌てて、立ち上がろうとしたを止めた。
「きっとすぐにお戻りになられますので、どうぞそのままお待ちくださいませ!」
「でも、やはり帰った方が、ゆっくりできるでしょうし・・・お客さまから見えない出口を教えてください。それから、白哉さまに、本日は有難うございました、とお伝えてください」
ね、と笑んだが再び立とうとすると、今度も青ざめて先ほどよりも大きな声で止めた。
「そんなことをしては、叱られてしまいます!」
その言葉には、ああそれは困りますねぇ、と呟いた。そして考えるように手を顎に持っていく。うーん、と考えている姿を見て、お菊は近い未来の主人になる人物が心優しい面があることに喜びを覚えた。
「でも、大事なお客さまだったら、やはり・・・」
「あ、あの」
客人が誰であるかを知っているお菊は、小さな声で困ったように告げた。
「お客様は、その、様が心配されるほどのものでは・・・」
その言葉には、でも、というと、お菊はやはり説明したほうが良いだろうと、そっと手を口元に当て、はそれに耳を近づけた。
「その、いらっしゃった方は、以前から、旦那様とお見合いを、という方でして・・・」
気まずそうに告げられた言葉には、ああ、と納得した。客人は白哉の見合い相手候補だったのだ。公に二人の婚約を発表していないために、いまだに話を進めようとしているのだろう。それを知ったは再び、数刻前に浮かんだ疑問が戻ってきた。
何故、自分が選ばれたのだろうか、と。家よりももっとふさわしい家はあったはずだ。きっと心から白哉を愛していた者も居ただろう。家よりももっと一生懸命に売り込んでいた家もあるだろう。いくら見合いの話が急だったとはいえ、は自身の母をよく理解していた。そのため、そんなに懸命に母が自分を売り込んでいたとも思えなかった。それは、より一層の疑問を深める。は、自分とは違い、朽木白哉の性格からして、見合い写真だかなんだかの山の一番上にあったから、という理由で自分を選んだとは考えられないだろう。そして、は再び、自分の記憶の中で白哉と言葉を交わしたことのある場面を思い出そうとした。しかし、それはどれも挨拶程度のものだった。
は、訊いたら教えてくれるだろうか、とふと先ほどまで穏やかな空気を纏っていた白哉を思い出す。それともそれは訊いてはいけないだろうか。そんな思考はまた中断された。
「待たせたな」
「あの、お客さまは・・・」
「帰った」
そうですか、というと白哉は少し前に座っていた所にまた腰を下ろした。失礼いたします、と断ってからお菊はその場を離れた。に酒を注いでもらうと、それを口にした。ちらりとに目を向けると、雰囲気が先ほどと違うことに気づいた白哉は、僅かに目を細めた。しばしの沈黙をが破った。
「あの・・・」
小さく猪口の中の酒を見つめながら呟くと、白哉はそっとのほうを見た。
「何故、私だったのでしょうか・・・?」
虫の声しかしない庭にの声は綺麗に通った。その問いかけがあまりに突然で意外だった白哉は、一瞬目を大きくした。そして、は曖昧に微笑みを浮かべた。
「その、初めて会うような女を、朽木家のご当主として迎えようとされるとは思わなかったので・・・」
白哉は、こと、と猪口を盆に載せた。
「初めてではない」
きっぱりとした口調で言った白哉の言葉に、今度はが驚いた。
「何度か挨拶はしてるだろう」
そういう意味で言ったのではないと考えたの心を読んだかのように続けた。
「・・・以前、現世任務から兄が戻ったところを見た」
え、とは小さな声で聞き返した。
「丁度浮竹と話が終わって帰るところに、兄が報告に来ていた。怪我を負ったまま」
「そ、れは、また・・・お恥ずかしいところを・・・」
は、自身の姿を思い出した。
予定よりも遅くに終わった任務は無事成功に終わったが、虚から部下をかばったために、右腕とわき腹を負傷した。四番隊で治療してもらった直後、もうしばらく休んだほうが良いといわれたは、もういい、とそれを振り切った。十三番隊まで戻ると、先に報告に戻っていた部下が大きな足音を立てて駆け寄ってくると、症状を訊ねた。がその問いに答える前に、丁度廊下を歩いていた浮竹とルキアが気づき、ルキアが駆け寄ってきた。
『殿!』
ルキアは、目に涙を浮かべて、に抱きついた。は突然のルキアの行動に目を見開いた。今まで、どんなに名前で呼べと言っても、ルキアは、殿、と呼んだ。その上、今まで抱きつくことはあっても、ルキアに抱きつかれることがなかったは、驚きと喜びを同時に感じた。ルキアが本当に自身を慕ってくれているのだと感じたのだ。
『ご無事で!よかっ・・・!』
胸元に顔を埋めてルキアはぎゅっと抱きしめる腕に力を入れた。それによってはわき腹の傷が痛んだが、一瞬顔を歪めただけで、すぐに微笑みを浮かべ左腕でルキアを抱きかえす。
『ただいま、ルキア』
「あんなルキアは始めて見た」
いつも朽木の恥にならぬように、と冷静でいようとするルキアが、あんなに取り乱すことはあまりない。
「抱きしめられて、傷が痛んだはず。だが、兄は笑みを浮かべたまま、ルキアを抱き返していた」
まるで姉妹のようだった、と告げられたは恥ずかしそうに微笑んだ。
「私は、ルキアを妹のように思っておりましたので、とても嬉しかったのです」
そうか、と白哉が返した。僅かに間を開けて、再び口を開いた。
「兄の、傷はもう良いのか?」
腕の包帯は取れていたようだが、とそっと手を伸ばした白哉がの右腕に触れた。突然の行動にどきりとの心臓が大きく脈打った。
「は、はい。傷は、もう。卯ノ花隊長のおかげで」
優しく労わるような白哉の手に、が顔を上げると目が合った。穏やかで優しさを含む眼差しに、引き込まれるような感覚も覚える。ふと右腕に触れていた手が離れ、の柔らかい頬に触れた。その行動には頬がだんだんと熱くなるのを感じた。
「あ、の・・・」
戸惑いの色を見せると、頬に触れていた手が離れた。そして、白哉はふいと視線だけではなく、顔もから逸らした。
「・・・今宵は、飲みすぎた」
そう小さく呟くと、白哉は、もう夜も遅い、と空を見た。
「送っていこう」
そして、白哉の言葉には、はい、と頷く。
外はすでに暗くなり、静かだった。白哉は足音も立てずに歩き、僅かにが斜め後ろを歩いているのに気づくと、速度を落とした。は、斜め前にいたはずの白哉がいつの間にか横にいたことに気づき、どきりとした。ばくばく、と自分の体から聞こえる音には、聞こえてしまわないだろうか、と思った。しかし、白哉は何も言わないまま足を進め、も無言のまま歩き続けた。沈黙は、の家に着くと、によって破られた。
「あの、今日はわざわざ有難うございました」
は、はにかんで白哉を見た。ああ、と返すと、小さな間を置いて白哉が口を開いた。
「・・・兄の家になるのだから、これからはいつでも帰ってくればいい」
その言葉には一瞬目を丸くして目を泳がせたが、すぐに恥ずかしそうに、はい、と頷いた。そして、白哉に促されて家の中へ入った。
「つかれた・・・」
意外だったのだ。は、六番隊隊長として働く白哉しか知らなかった。その姿からは、今日見ている白哉はあまりにもかけ離れている気がしたのだ。それは言葉を交わしたことがないから、という理由だけではない。ただ、が想像していなかっただけだ。
穏やかな表情も、優しい触れ方も、は想像していなかった。
恋愛に疎いとよく言われていたが、恋をしたことがないわけではない。それでも、こんなに心が乱されたことはなかった。今までのは恋ではなかったのだろうか、と心の中で呟いた。
あんなにどきどきする人と一緒に居なきゃいけないなんて。
心臓が持たない、とは僅かにずれた考えを持ったまま、その晩眠りについた。
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UP 05/08/14