天沼のテリトリーが解けた。爆発した後に残ったのは、ゲーム機と倒れた天沼の体だけだった。
「もともとあったのは、これだけか」
「天沼の能力で、あんな壮大な幻影を見せられたってわけか」
さんが天沼の隣に膝をついた。幽助さんが呼んだ。
「?」
天沼は、敵だった。敵が死んだ。それなのに、彼女は涙を流した。ぽろぽろと流れる涙に、僕は胸の奥が痛く感じた。
「おやすみなさい、あまぬまくん」
さんは、そっと天沼の頬にキスをした。それは、映画のワンシーンのようで、全員が息をのんだ。
「さん・・・」
さんは蔵馬さんの方を見上げた。それに倣うように僕たちも蔵馬さんを見た。
「くら――」
浦飯さんが呼びかけて息をのんだ。
「行こう」
蔵馬さんが呟いて、ゆっくりと立ち上がったさんは歩き出した。
「御手洗君、案内お願いね」
涙を流したまま微笑んだ。ずきん、と胸の奥がいたんだ。泣かないでほしい。君には笑っていてほしいんだ。
「さん」
そっと手を伸ばして、パーカーの袖で涙を拭いた。僕が意識がない間に洗っておいてくれたらしいそれは、そんなに汚くない。
「ありがとう」
ふんわりと笑ってくれた。目にはまだ涙が浮かんでいたけど、さっきより悲しそうな顔じゃない。
「行こう」
僕の手をとって、さんは歩き出した。
「我々は町に戻って様子を見よう」
玄海さんがそう言うと、浦飯さん、蔵馬さん、飛影さん、さんと僕の五人で進むことになった。
「次は右だ」
最後の分かれ道を進んだ。そして、大きく左にまがるところに差し掛かった。洞窟の中心へたどりついた。数日ぶりに来た、洞窟の中心だ。
「あれが、境界トンネル」
小さくさんが呟いた。
仙水さんの声が洞窟の中を響いた。
「ようこそ」
振り返った仙水さんから僕を隠すように、さんは僕の前に立った。
「あの先を、迷宮城があった場所と一緒にしない方がいいぜ」
飛影さんが呟いた。
「普通の人間は、汚れた魔界の風を吸っただけであの世行きだ」
そんな恐ろしい世界なのか。喉がごくりと音をたてた。
「映画がいいところなんだ」
あと三十分ぐらいで終わるよ、と言う仙水さんは相変わらずだと思った。どんな時でも冷静で、静かだ。
「エンディングが、とてもきれいな曲なんだ」
仙水さんが立ちあがって、こちらを見た。
「そのメロディが流れるころには、この穴は完成する」
あと、三十分。穴の下のふねには桑原さんが縛られている。はっと息をのんだ。
「どうした?」
「どういうことだ?樹が、立ってる?」
飛影さんが樹を見た。
「樹?」
「ずっとあの船の上に座っていたはずだ」
桑原さんがいるところは、樹の定位置だった。
「穴はすでに俺の手を離れた。時が来れば、おのずと開く。もう俺には止められない」
樹が静かにいった。桑原さんに妖怪たちが手を伸ばしている。
「桑原!」
「和真君!」
恐ろしい光景だ。
「あそこに群がっているのはC級妖怪だ」
仙水さんが説明した。あのままでは、桑原さんが食べられてしまう。焦ったようにさんが、和真君、と呟いた。しかし、仙水さんが大人しくしていろ、というと妖怪たちが消えた。桑原さんが安堵したように見えた。
「だがB級になれば、人間界で言う所の知性と理性を持つ妖怪へと成長する。飛影、蔵馬。お前たちのようにな」
こんなに恐ろしい人だっただろうか。手に汗が浮かんだ。背中にも流れるのを感じた。
「そして、それ以上になると、人間界で敬われている宗教の神や、神話の怪物として語り継がれているものさえいる」
「神や神話の怪物だと?」
「A級妖怪。彼等はきっと魔界のどこかで、冷静にこの穴を眺め、機をうかがっているだろう」
「どんな妖怪であろうと、人間界には入らせねえぜ!」
浦飯さんの言葉に、歴史の目撃者になるのだと仙水さんは笑った。
「伝説上の生き物を見ることができる」
俺はそんなもんみたくねえ、と桑原さんは噛まされた布の下で叫んだ。どうしたら彼を助けられるだろうか。
「ごちゃごちゃうるせえよ、てめえ」
浦飯さんの言葉に、ぴたりと仙水さんは動きを止めた。
「お気に、召さんかね?」
「へどがでらぁ」
仙水さんは槇原を呼んだ。
「グルメ」
「こいつが」
僕の呟きに、浦飯さんが誰だかわかったようだった。グルメに勝てば、桑原さんを返すといった。本当だろうか。
小声で蔵馬さんが、すきを見て取り返す、と浦飯さんにいった。隙を探す。桑原さんを助けたい。
「御手洗さあ、頭ん中桑原助けることでいっぱいじゃん。でも、妙な真似したら、仙水さんの気が変わっちゃうかもしんないぜ」
「なに?」
なんで、わかった?
「俺倒したら返すっていってんだからさあ」
ぐっと奥歯を噛んだ。
「それから、蔵馬って人?天沼殺したの、そんなに悔しいかい?本当はさあ、はらわた煮えくりかえってるでしょ?」
ハッと蔵馬さんを見た。
「って人もさあ、天沼が死んでそんなに悲しいかい?それに、すんげえ怒ってるでしょ?蔵馬と同じぐらい」
いやそれ以上か、とグルメが呟いた。僕からさんの表情は見えない。
「殺してやりたいほど憎い?」
白くなるほど握った両手の拳がわずかに震えている。さんでも、そんなに怒ることがあるのだ。ハッと浦飯さんが息をのんだ。
「ぴんぽーん。正解。室田ってやつのタッピングは俺が食っちまった」
グルメは、きっと浦飯さんたちが知ってる能力者を食べたんだろう。
「てめえは、室田を・・・」
一歩前に出た浦飯さんを蔵馬さんが止めた。
「こいつは、俺がやる」
低い声にぞくりと背中に何かが走った。
前に出た蔵馬さんはバラを取り出した。なにをするんだろうと思ったら、いつの間にかグルメは地面に倒れていた。
「な、何をしたんだ?全然わからなかった」
蔵馬さんの手には、いつの間にかムチが握られていた。
「見え透いた芝居はやめろ。立て、戸愚呂」
え、と浦飯さんとさんが呟いた。
「もはや、そいつの体からは、戸愚呂兄、貴様の匂いしかしない」
蔵馬さんがそう言うと、突然笑い声が聞こえた。なんだ!?
「げえ」
立ち上がったグルメの傷口から、別の頭が生えた。うわ、と小さくさんが声を上げた。
「よくぞ見破った。前以上に鼻が利くようになったんじゃないのか?うふふ、うひゃひゃひゃ」
「槇原の体の中に!」
「それじゃあ、槇原の意識は?!」
「その通り、奴のテリトリー、グルメごと俺が取りこんだ」
「な、なんてことだ」
「話せば長くなるがな」
初めて見た男は、他のみんなとは面識があったらしい。仙水さんが波長を捉えたらしい。
「霊界探偵の後輩、浦飯幽助君の活躍を彼から聞いた時は、奇妙な因縁を感じたよ。そして、それは確信に変わった。今こそ計画を実行に移す時だとな。皆殺し!」
仙水さんがくわっと目を開いた。怖い。
「こいつの能力もえぐいぜ」
男は笑った。自分もグルメに食われたのだと。でも、乗っ取っていったのだと。
「相変わらず悪趣味だ」
さんがぽつりと呟いた。その声は、心底嫌悪していることが聞き取れた。あの男を、さんも知っていたのか。
「槇原の恐怖が手に取るようにわかるのさ!うひゃひゃひゃひゃ!快感だったぜ!」
「もういい」
蔵馬さんが低い声で止めた。
「ケリをつけてやるよ」
数歩近づいた。
「下衆め」
ひんやりとした空気を感じた。蔵馬さんは怒っている。恐ろしさを感じた。戸愚呂と呼ばれた男は笑いながら走り出した。
「なに?!」
蔵馬さんの手から出た煙に戸愚呂は足を止めた。
「煙?」
「なんだ、この煙は」
さんと浦飯さんの疑問に、飛影さんが答えた。
「カビの粉末をを使った煙幕だ」
もくもくと二人を煙が隠した。
「見えねえ」
「二人とも包まれてしまった」
ふむと一瞬さんが考える仕草を見せた。
「カビって吸うと毒かな?」
「え」
「あ、でも毒性はカビの種類によるよね。煙幕だから毒じゃないのかな」
冷静すぎだろ。思わずつっこみそうになった。
「一体何が起こってるんだ!戸愚呂兄の声しか聞こえてこねえぞ!」
飛びこもうとした浦飯さんを飛影さんが止めた。
「蔵馬!」
「もう、終わった」
「お、おわった?」
終わった?じゃあ、この声は一体?
煙が消えて、変な生き物のようなものが戸愚呂に巻きついていた。全員が息をのんだ。
「邪念樹」
変な生き物のようなものは、じゃねんじゅ。
「幻覚を見せ、餌をおびき寄せ、そして寄生する」
「幻覚?じゃあ、奴はあの邪念樹を蔵馬だと錯覚しているのか」
「いつ種まきを?」
さんの質問の仕方に若干力が抜けた。蔵馬さんが答えた。
「初めに槇原の首をはねた時」
「煙幕は目をくらますためじゃない。邪念樹の幻覚物質が外に漏れないためのシールドだというわけか」
飛影さんの分析に、蔵馬さんは頷いた。
「邪念樹は死ぬまで餌を離さない。だが再生を続ける戸愚呂兄、死ぬことさえできない」
あんな植物がいるとは、知らなかった。
「永遠に俺の幻影と闘い続けるといい」
冷たい声だ。
「お前には、死すら値しない」
ごくりと喉が鳴った。これが、戦い。
「すごい」
改めて、僕は自分の弱さを知った。戦闘能力での弱さ。こんな人たちのそばにいる、さんはどれくらい強いんだろう。とりあえず、僕がこうして動揺していることに、彼女は動揺していない。
「槇原を倒したら、桑原を返してくるって言ったよな?」
「約束は守るさ。というよりは、すでに守ったんだけどね」
ハッと船を見た。桑原さんがいない。
「あ、和真君!」
さんが走り出した。桑原さんがいた。皆で駆け寄って、口をふさいでいた布を取った。
「ぷはー。しゃべれねえってのは、死ぬよりつれーもんだな」
「どんだけよ」
「桑原君、一体何があった?」
「妙な手に掴まれてよ。暗闇に放り込まれたと思ったら、いきなりこんなところに出てきちまってよ」
突然僕たちの下に穴が現れた。
「なに?!」
「うわあああ」
「ひゃああ」
穴に落ちた。
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UP 05/04/14